バリー・サンダース編「雷鳴を轟かせた男 ~スーパースター列伝 バリー・サンダース編~」この選手をテレビではじめて見たとき、体に稲妻が走った。文字通りフィールドに雷が落ちたようだった。時には稲妻のようにすばやく選手を抜き去り、またある時は雷のように相手をなぎ倒した。1ヤードしかゲインできない時もあれば、ディフェンスで前が塞がれているときはいったん後ろに下がり信じられないヨウなスピードで相手を抜き去り一気にタッチダウンを奪う。プレーに裏表があるように性格にもコインのように裏表がある。 フィールドでボールを持っていると見ているものをしびれさせる走りをするが、一旦ボールを置くと物静かで、気取らない敬虔な紳士に戻る。 サンダースのベストシーズンは1997年だった。そのシーズンにサンダースは2053ヤード走り、当時史上3人目のシーズン2000ヤードラッシャーに輝いた。ちなみに、1位はE・ディッカーソンが1984年に打ち立てた2105ヤード。この記録は今現在も破られてない。 サンダースは10年間、デトロイト・ライオンズでプレイした。そこで、通算15269ヤード走り、NFLではE・スミス、W・ペイトン、に次いで3位にランクされている。しかし、「W・ペイトンが持つ通算16726ヤードの記録を破るか?」という1999年のシーズン前に電撃引退を表明した。理由は「プレイする気力が無くなった」そうだ。彼には記録など重要ではなかった。 元バッファロー・ビルズのランニング・バックT・トーマスはオクラホマ州立大の1年先輩である。サンダースに唯一控えの経験をさせたプレイヤーだ。その選手がサンダースの偉大さについて語ったことがある。「彼はビッグヒットを受けなかったね。守備陣はサンダースを止めようとしてもバランスを崩して止められないんだ。そう、彼はまるでM・ジョーダンのようだったね。」 サンダースは、ハイズマン・トロフィー(大学最優秀選手賞)、タッチダウン数(39個)、ランニング・タッチダウン(37個)を含む13のNCAAシ-ズンレコードを引っさげてNFL入りした。NFLに入ってからは、1997年のシーズンに100ヤードゲーム(1試合にラッシングで100ヤード走ること)を14回記録したのはリーグレコードである。 サンダースは数々の記録に対して 「私は勝ち負けがかかっている時は競争心がある。だから、大きな記録を作った。それはあくまで勝負事の中の結果であって、勝ち負けほど記録には興味が無い」と語っている。 サンダースは1968年の7月16日にカンサス州で生まれた。カンサスのうだるような暑さの中、少年時代殆どの時間を父親の仕事の手伝いに費やした。 「あれはまるでサウナのようだったよ。日陰も無ければ、暑さをしのぐところなんか何処にも無かったからね。それに父親は癇癪持ちだったけど、それは私にはいい経験だった。」とサンダースは当時を振り返る。 サンダースはノース高校でエース・ランニングバックとして活躍した。2年生の時シーズンも終盤に差し掛かり、サンダースはラッシング・タイトルまであと33ヤードに迫っていた。しかし、彼はそのチャンスをみすみす逃した。チームはすでにプレイオフ進出を決めている。次にゲームが控えていて、怪我するのを恐れためだ。彼は記録にはこだわらない。チームが勝ちさえすればいいのだ。 サンダースのオクラホマ大でのジュニア・シーズン(2年生)は恐らく今までのランニングバックのなかで最高だろう。1988年に1ゲームに300ヤード以上走ったことがあり、5試合連続200ヤード以上走っている。 サンダースはカレッジのフットボール選手なら誰でも目指すハイズマン賞に興味を示さなかった。発表の時にサンダースは日本でテキサス工科大と試合をしていた。衛星中継で繋がっていてサンダースは出演を要請されたが、拒否をした。サンダースは、賞は南加大のR・ピートが獲ると思っていたからだ。 オクラホマ大のP・ジョーンズコーチは「サンダースは賞に全く関心を持っていなかった。彼の母親が“自分にではなく、神に栄光あれ”と彼に教えていたからね」と言っている。 1989年にデトロイト・ライオンズに1巡3位でドラフトされると、彼は周囲を失望させない活躍をし始める。その年に、1470ヤードを走り、B・シムズが持つ球団記録をあっさり塗り替えてしまった。1990年にはルーキー年より166ヤード減ったが、ラッシング・タイトルを獲得する。 4年目のシーズンの1993年はサンダースがまたタイトルを獲るように思われた。しかし、サンクスギビング・デイ(感謝祭)の日に左膝を怪我したため、5試合欠場してタイトルを逃してしまう。この年に走った1115ヤードは、サンダースのNFLでのシーズン最低記録である。 サンダースは、94年に1883ヤード、96年に1553ヤード、97年に2053ヤードを走り、タイトルを獲った。10年のプロ生活の中で1回のラッシングが平均4.3ヤードを下回ったことがない。 サンダースがこれだけの記録を作ったにもかかわらず、父親のウィリアムは息子を最も偉大なランニングバックと見なさなかった。 「私は息子を誇りに思う。でも、私はリアリストだ。私が今まで見た最高のランニングバックは、J・ブラウン(クリーブランド・ブラウンズでプレイし、E・スミスに破られるまでNFLの通算ラッシングヤード記録を持っていた。)だ。」と父親は言う。 フィールド上のサンダースは、すばしっこく、ショウマンだ。しかし、一旦プレイが止まると、急に紳士になる。タッチダウン後はすぐ近くの審判にボールを手渡し、踊りもしなければ、トラッシュトーク(罵り合い)もしない。この敬虔な態度は両親から学んだものだ。 サンダースは、1999年に気力の衰えから突如引退を表明した。年俸5億円を稼ぎ、あと4年の契約も残っていた。何億円もまだ稼げるのになぜ引退したのだろう?答は簡単だ。彼は富も名声も欲しくはないのだ。NFLを席巻した“THUNDER”は今、デトロイトの郊外で家族と自分の生活を楽しんでいる。 |